愛知県の「うどん」のルーツを探る
時代は流れても「麺類」は愛知県民のソウルフードです。
人類最古の作物のひとつとされる小麦がシルクロードを経由し中国に広まり、その小麦粉に水を加えて練ったものが「餅(ピン)」で、これが日本に伝わったあと、長い年月を経て変化していって「うどん」となったというのが、もっぱらの定説です。
当店は、明治時代の前半に立ち上げられ130年以上前から続く店で、現在は四代目が継いでいます。当時から東別院から大須へ向かう筋道にあったため、彼岸どきは「あんかけ」がよく出ました。いまどきの回転寿しで出されるような小さな器だったため、ファストフードの走りともいえます。
戦前は、夏場の暑さしのぎに「う」のつくものとして「うなぎ」以外に「うどん」も、流行ったものです。今でこそ高級品のイメージですが、その頃は朱塗りの漆器がふんだんに使われていました。なお、一杯8銭とかで庶民の小腹を満たす役割を果たしていたようです。
戦後の出前がメインだった頃は、たくさんの「おかもち」を軒先に吊るして目印にして、饂飩や蕎麦など麺類を主に商いしていました。さらに1964年の東京オリンピックのころは、お釜を目印として軒先に置いていたときもありました。
また昔の冬の定番だった「苧環(おだまき)」が、最近復活し始めています。これは茶碗蒸しに麺を入れたもので、通常の茶碗蒸し碗より二回りほど大きな器に盛られます。そもそも「おだまき」というのは、紡いだ麻糸を丸く巻いたものですが、うどんが丁度このつむぎ糸のようなのでこの名がつきました。地域によっては「小田巻」と表現するところもあるようです。
時代の変遷はありますが、これからも庶民の味方として地域に寄り添い美味しい「うどん・きしめん」を提供しつづけられたら幸いです。
文責/一八本店 上田正隆さん 中区橘1-5-14